おいらがTrackBackを送ると学士様の格好の攻撃材料になるかも知れんが。
たまに、政治ブログの参入者や読者が増えないのは、「政治に詳しい人たちが内輪で議論をしているだけで、排他的で入り込めないからだ」と言う人がいるが、そうではなく、世間一般では歯牙にもかけられない極端な主張や、世間の悪はすべてユダヤの陰謀だとする「ユダヤ陰謀説」、新潟地震は地震兵器HAARPが引き起こしたなどと主張する擬似科学愛好家などが大手を振って歩いている「政治ブログ界」には近寄る気がしない、というのが世間一般の人たちの感覚なのだと思う。
「庶民的」を自称する「わかりやすいブログ」のアクセス数が全然伸びないのは、そういったブログの主張に普遍性が乏しく、説得力がないからだ。この種のブログは、前記の極端な主張をするブログや、陰謀論や擬似科学に傾きがちなブログに対しても、常識的な主張をするブログに対するのと同様な、友好的な態度をとることが多い。私は何も特定のブログを念頭に置いて書いているのではなく、そのようなスタンスのブログは少なからず存在する。これは、自然科学でいうならまともな学術書とUFOや超能力の本を同列に論じるようなものであって、そんなブログは政治に興味のある人には相手にされないし、政治に興味のない人はそもそも政治ブログなんて読もうと思わない。だから、そういったブログは全然マスにリーチしないのである。なぜ、だめなものはだめだと言えないのだろうかという気がするが、おそらく何がまともで何がトンデモかを判別する能力に欠けているのだろうと想像している。
kojitakenにお前が言うなというのは非常に簡単なんだが、ここで述べられてる見識はおいらの認識とそう変わりはない。「わかりやすく伝える」ということは無意識的に伝えられる対象の知能程度を自分より下に見ている行為であるが、得てしてわかりやすく伝えられる対象のほうがその判断は正しかったりするものだ。政治などというものは基本常識さえあれば誰でも出来る、もしくは誰でもしなければならないものなので、おいらがWebアプリケーションについてわかりやすく伝えますというような知識量による絶対的な格差はないだろう。誰かが誰かにわかりやすく政治を語るなどということはおこがましいのだ。
んで、残念ながら人は面白いものが好きなので、「極右軍事政権を!」とか「9条を世界遺産に!」とかアレな意見を言うことは手っ取り早く人を集める手段として往々に用いられる。ただ、それではノンポリ(この言葉もあまり好きじゃないな)の人たちは絶対にそれらの集団を遠巻きにして眺めているだけだ。
そしてしばしば極端な主張の集団は民主的なプロセスを無視する。それは自分達が多数決の結果支持されるということがありえないと本能的に知っているからなのだろう。9条ネットにせよ新風にせよ選挙に出ようと考えているうちはまだ良い。選挙に出なくなったときが本当にやばいのではないかと思うのだ。
ただ、人間とは弱いものでアレな人からの支持も欲しがってしまうところはあると思う。んで、新風というのはそういうアレな人に乗っ取られてしまった状態と思ったりもする。いわゆるリベラルの側がそういう人たちを排除できてるかといえば時々キチガイとしか思えない人を見るので(増田都子とか)きっと途半ばなのだろうと思う。
まあ、つまるところ何が言いたいかというとトンデモを排除する努力は左右問わず常に行って行かなければならないし、時には反対側からの指摘にも耳を傾けられる度量を持ちたいなということかの。
まあ、リベラルの側がアレな人をたたき出す過程でkojitakenがたたき出されてしまう可能性というのは正直あると思う。

