2009年04月16日

どうすれば醜いものが蔓延ったこの世界

緑城氏からTrackBack頂いたんだが、なんというか。なた5963氏が言うように運動をポジティブに捉えてる人間とは深くて暗い河が流れているなあとか感じた。以下適宜引用しながら。

蕨デモの件で徒然と書きなぐってみる

「そこ(実力行使)にいたるまで」の「在特会の各種さまざまな挑発」とあるので駅前でのことを指すんだろうけど、もちろん見ていないなんて言わない。集会中のことも含むのであれば、そこはわざわざ聞きに行って釣られる方が愚か。

ただ、これについては本当にお互い様でしかないと思う。そう言う意味で「怒号が飛び交っておりカオス」と表現した(それがレポートとして不足と言うことであれば、これは取材能力とか編集に際する取捨選択の判断力を恥じるしかない)。

これは了解。駅前での喧騒に双方ともに問題があったと認識しているのであればおいらの認識とそんなに変わらない。しかしあなたが保守の側でレポートをするのは閲覧者にはわかりきった事なので、ともすれば「在特会側の不始末は隠してるんじゃね?」と邪推されても仕方が無いことを認識してほしい。そしてあなたのやっていることがあくまでも取材であるならば、そのような邪推を排除する努力はもっとするべきだと思う。まあ、あなたが駅前のときに左翼に絡まれてそれ所じゃなかった事情は理解できた。つーか、きっとおいらその現場見てるわ。

目的の何が達成できたかと言えば、支持者の士気向上だろうか。運動を継続していく上で定期的に支持者が参加できる活動がないと士気が下降すると言うケースを別の問題で見ているので、そう言う点では意味があったのではないかと思う。

ただ、外向けに何が出来たのかと言うと、主催側は問題提起とかアピールができたと考えるんだろうけど、今回についてはいわゆる保守側やそれに近い考えをする人からさえもやりすぎなどの声が上がっていることを考えると、収支としては正直に言って微妙。

ま、厳密に数値化されるわけでもないので、損得勘定として私ならマイナスと考えるけどプラスと考える人もいるのだろうと言うか、そう考えたからデモを決行したんだろう。

理解できないのがここ。んで、おいらが社会運動とか抜かすものを一生懸命やってる人間を心の底から馬鹿にしてるのもここ。

君らの士気が高かろうが低かろうが、定期的に何かやんないと求心力が保てなかろうが、そんなものは蕨市とは何の関係もない。仲間内の頑張ろう会だったら居酒屋でやればいいじゃねえかよ。あの日オナニー見せ付けられた蕨の人々はお前らの内輪の盛り上がりのネタか? これからもお前らは内輪の評価のために日本各地の方々にご迷惑をおかけして行くのかよ。いい加減にしろよ。

成果を外向きと内向きで考えること自体が間違ってる。外向きに成果が無ければ全体でも無いの。今回左翼が馬鹿だったから成果があったように見えるけど、それが無ければパンピードン引きさせて終了だよ。

ここで、先日来からしばしばTrackBackを頂いてる赤マフラーファンサイトのエントリを引用する。

[雑記]終わりの始まり

左翼セクトからすれば、日大の乱脈経営批判や中大の学費闘争、東大の登録医制度反対闘争はいわば「道草」であり、彼らの主戦場は国際反戦デーから沖縄デー、そして70年安保であった。

多くのノンセクトラジカルズ(無党派で左翼思想に親和性を持つ学生)から遊離し始めた左翼運動は党派性をあらわにし始め、全国全共闘連合は71年の山本議長の辞任で解体する。こうして学生運動は運動としての全体性を見失う。全体性を見失った学生運動は先鋭化することに存在意義を見いだそうとしていた。しかし先鋭化すると、そこにセクト主義化が強化され、敵への激しい闘いの意思は、しばしば戦列内部での対立をも先鋭化させる。中核・革マルの殺傷合戦(内ゲバ)や連合赤軍の同士殺し、そして運動の過激化は一般人を巻き込むことになる。

過激化した運動はもはや広い支持を集めることができなくなる。過激化する一つの契機は、本来素朴な社会への疑問を持った人々を政治的党派が自らの政治的主張を実現せんがために、運動を引き回す。その結果、無党派は行き所を失い、運動から離脱する。上の例で言えば、無党派はあくまでも自分の所属する大学への不満が一番の関心事であった。安保・沖縄・三里塚(成田)は二の次である。一方セクトにとってはあくまでも主戦場は安保・沖縄・三里塚である。そこに向かって突進する時、両者の間に齟齬が生じる。セクトからすれば「道草」と感じ、ノンセクトからすれば「セクトによる引き回しだ」となる。ノンセクトがセクト主導の運動から離脱し、セクトは党派性を表に打ち出し、ますますノンセクトから遊離する。やがて運動は先鋭化し、ますます社会から遊離し、やがてカルト化し、自壊する。運動のセクト主義化は終わりの始まりである。引き回されていたことに気付いた大衆は離脱し、運動は終焉を迎える。そこにしがみつく人々はカルト化し、セクト主義を強め、内部対立を強める。「○○の手先」と内部対立の相手を罵るようになると、末期的な症状と言っていい。完全に自分らの進むべき道を見失っているからである。さらに運動の矛先を権力ではなく、一般の人々に向け、彼らを威圧するようになると、世間の共感を買うどころか反発を買うようになる。しかし自らを見失っているセクトにはその反発は耳に届かない。カルト化が進行し、社会からの遊離を強め、その運動は瓦解する。これは歴史の教訓である。

新風や在特会のことですといわれても全く違和感が無いw 瀬戸や桜井が考えているのは国民運動と銘打った一億総セクト化じゃないか。その中心でノンセクトにあれこれ差配する自分を夢見ているのだろう。んで、黒田あたりはそのおこぼれを頂戴しようとしているのだ。全くおぞましいと。

西村は適度に暴れることができてご飯が食べられてみんなが持ち上げてくれればいいんじゃないかなとかたまに思うが

何度も言うけど外部からの見た目と、内部の運動員の士気維持とかを天秤にかけてる時点でその運動にはその運動には一欠片も社会的価値は無い。桜井の家でやれよ。

総括については、黒田氏辺りが暴走しなければ大丈夫ではなかろうか。と言うよりも、専門職として法律をあの中で最も理解しているはずの氏が暴走するようであれば、それはもう運動体として終わっていると言うことになる(氏としてはもう終わっていると考えているんだろうけれども)。

ただ、パチンコ換金違法化運動とかやってるし、フリーター労組周辺の方々にも恨みを持たれているみたいだし、誰に殺されてもおかしくはないかな(−−;)

……と言いつつ、言論や表現の自由を信じているので自重しないんだけれども。

顔も割れてるんだから自重してくださいとしかw 言論や表現の自由を信じてるとはいえ、あなたが相手をしている連中はそんなもの尊重しないとおいらは認識しているので、何かあったら110番するのは恥じゃない。

まあ、おいらはすでに述べた通り新風や在特会、主権なんかは運動体として終了していると思ってますがね。

しかし、黒田はやっぱり暴走しそうなのか。見た目そのままだね。

余談だけど、オールレンジ攻撃でゲーマルクが出てくるのが渋い。私だったらキュベレイだなぁ。種世代だとドラグーンシステム搭載MSか。

基本的に宇宙世紀ガンダムしか認めないおいらですが、ゲーマルクは好きなんだよ。あのインパクトはすげえ。ファンネルからファンネルが出るんだぜ? 某ゲームで操作しようと思ってもプレイヤーがファンネルの数が多すぎて把握できなくなるという。「ゲームで操作するのにニュータイプになる必要があるとは!」と、当時中学生だったおいらは驚愕した。ちなみにこのゲーム独自のヴァリエーションとしてザクV改に4機ファンネル搭載したMSがある。ゲームとしては格闘性能の差もあってそっちのほうが使い勝手がよかった。

種はどうでもいい。知らん。

posted by ミラクルさん at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 蕨キチガイ劇場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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