エントリに起こすまでもない細やかなむかついたことを記述するために新しく日記のスペースを用意しました。良かったらコメントくださいな。一応飽きるまでやる予定です。
時々馬鹿のSWが荒らしにきますが、まあそこはそれです。
あと、「自分が正しいと思った行為は全てあり」、「つまり自分が行う人格否定はあり」ってのは批判を受け付けない危険な兆候ですね。おまけにグダグダになってきてる。
・・・あれ?以前どこかで同じタイプを見たことあるような。
ところで、miracleさんも相手が自分の行為を省みずに注意してたら、相手の行為を実践して気がつかせようとする人?
あー、なんつーかおいらはそんな難しいこと考えていないよ。腹が立ったからさまざまな方法でいやがらせをしているだけさ。もちろん、馬鹿連中が自分の馬鹿振りを大いに悔いて焼き土下座して謝罪するなら矛を収めることを検討しないことはない。
この件に関してはいろんなストッパーがおいらにかかっていたんだけれどもそれはもうないでな。やりたいようにやるだけですわ。
『被害担当艦としていろいろと動いてみようかと思うわけだ(http://miraclemiracle.seesaa.net/article/103214094.htmlより。)』というのは、『腹が立ったからさまざまな方法でいやがらせをしているだけさ。』ということ、なのか?
だとしたら、正直がっかりだし、『おいらが救いたく思う人間』達はいやがらせは望んでいないと思うのだが。
そして。
「馬鹿」は人格に対する言葉。
「死ね」は存在そのものの否定。
「死ね」という言葉は使うべきでないと考える。
「死ね」という言葉を使わなくても、馬鹿の馬鹿っぷりは充分出ているだろう?と思うのだが。
http://blogs.yahoo.co.jp/wako0604/41045362.html#41816648
>「死ね。」だけは、私には我慢できないわ。
>だから、これだけは禁句です。
というwakoさんの言い分を、聞いて頂けないでしょうか?
>tomomi_n_sさん
どうしても弁明交じりになっちゃうのは仕方が無いと思うので結論を先に言うと、皆さんがなぜそんなことを言うのかあんまりよくわかっていないけれども、とりあえず「死ね」とか言うのはやめようとか考えています。以下思考過程。
うーん。自分ダブスタを弄してるかなという疑惑が生じてきた。うまくいえないんだけれどもおいらが「目的のためには手段を問わない」事してる? って思ってます。tomomi_n_sさんの書き込みをいろいろ読んで見た上で。
んで、自分としてはあの馬鹿連中を自分の目に見える範疇から排除する手段としてストレートに感情を伝えるというのは非常に理にかなった手段だと思ったし、その考えはおいらの中で揺ぎ無い。
ただ、「死ね」という言葉だけがどうして特別なのかがおいらにはよくわからない。存在そのものを否定してるんだからその単語を使用するのは適切ではないかと考えたりする。が、きっとこれはおいらの欠陥品の脳味噌がその言葉に潜むいろんなものを認知しないだけなのだろう。
ただ、まあ世の中でうまく定形のみなさんとやって行きたいという考えはあるんだ。んで、前医者にも言われたんだけれども「それは生きる技術として身につけましょう」といわれたことともリンクする。ならば、それを身につけないでウダウダ言っている自分に問題があったりするんじゃないかなと思った次第です。
ここまでの思考過程や結論に問題があったらむしろ教えてください。
でだねえ、ここでwakoさんのところ更新したら。ちょwwww テラ専務wwww しかも社長wwwww サーセンwwwww
「いろいろ読んで」か・・・・気恥ずかしいね。大した書きこみはしていないと認識していたのだが。
ただ。
先に言ってしまうと、
>ここまでの思考過程や結論に問題があったらむしろ教えてください。
この文章を私あてとして返事をしてみるが、少なくとも私には「教える」ことは出来ないのです。
私は自分の道をあがく者。誰かに何かを「教える」までにはまだ至ってはいない。
私の考えを書くことで、返事代わりとさせてください。
http://miraclemiracle.seesaa.net/article/102937424.htmlでお話しされていた「ヴァーチャル殺人」を思い出した。
たとえネットでの話としても、「殺人者」と言われるのは嫌だと思う。
まあ、私は「ネットとリアルの位置がわりと近くにある」からそう思うのであって、「ネットとリアルの位置がはなれている人」にとっては、ネットで「死ね」と言われようが「殺人者」と言われようが気にはならないのだろうけれど。
ただ、miracleさんの「死ね」という言葉は、ネットの中だけ、という限定で使っている気がしない。
存在そのものを否定したいから、使う。
今までのエントリーを拝見しての感想であるので、もし違っていたらご指摘ください。
もしそうなら、倫理的な問題にもなるので、人により「死」という言葉の意味が違う・・・・私も他者の意見に興味があるな。
自分のエントリーにしてもいいのだけど、生憎今は書けそうもない。
だから、ここに長文コメントをさせていただく。
申し訳ない。
(字数の関係で次のコメントにする)
死後の世界とか生まれ変わりとか言われてはいるが、基本的には一度死ねば終わり。
生物学的には「命はいつか喪われるもの」ではあるけれど、「ヒト」とは自己認識をしてしまっている生き物であり、自分の生命が「いつか喪うもの」だと知っている生き物でもある。
そして、自分の命が有限であると知っているものにとっての一番の恐怖が「自己の喪失」である。
これには肉体的喪失・精神的喪失の両方が考えられる。
殺人や自殺が何故「いけない」のか。
今の私は、「認識を喪失してしまうこと」が、命を有限のものと、そして一度限りのものと知っているが故、故意に喪わせることが最大の「罪」だと思うから、という答えをもっている。
これはまだ思索の途中であり、よりよい答えを持つものも当然いるはずである。
また、私もよりよい答えを求めている途中でもある。
「死ね」という言葉は、「命を故意に喪わせよう」という言葉であるから、使うべきでないと私は思っている。
(又。実際、その言葉で死に至るものもいるとすると、言葉の責任はとれないからね。)
今思いつくのは、こんな所かな。
長々とすみませんでした。
>ダブスタ
これについて何もふれていなかったな、と思って。
>ストレートに感情を伝えるというのは非常に理にかなった手段
私もそうかなと思う。
私はいろいろストッパーが掛かっているのでなかなか「ストレートに伝える」というのができなくて、でも、又やってみようと思う。
今は言葉を暖めているところかな。
ただ、先に書いたように「死ね」という言葉は使うべきではないと思っている。
(「死」という言葉、ネットとリアルの距離については記載した。)
もちろん、「死ね」とか「死んでしまえばいい」とか思ったことがないとは言わない。
程度の差こそあれ、そういう感情をもったことがある(これはネットではなく、現実においてであるが。また、周囲をみて私は恵まれているのかな、さほど強く何かを憎んだことはないのではないかとすら思う)。
ただ。
「思う」ことと「言う」ことと「実行する」ことの間には、とても大きな差があると思う。
「言う」ことと「実行すること」の差はよく聞くが、「思う」ことと「言う」ことの間もかなりあると私は思っている。
「思う」ことは自由だが「言う(ネットでは「書く」だろうか?)」となると、とある方向性をもつと思う。
ここのあたり上手くまとまらないのだが。
私は「死ね」というのは「言ってはならない」ことだと思う。
だから、「死ね」ということは「手段を問わない」行為ではないかと思う。
今度こそ、失礼します。
>ただ、miracleさんの「死ね」という言葉は、ネットの中だけ、という限定で使っている気がしない。
そうね。おいらはあんまりネット人格とリアル人格が乖離していない。つーかそんな使い分けは無理。
死の意味が違うというか、命の重みが違うのだと思う。命というのはおいらは所詮リソースの一つだと考えていて、それを使って何もできなければリソースの無駄遣いだから死ねよということがなんつーか自然に言えるのがおいら。
死というのは命が0になることでなんかそれ以上じゃないと考えてます。
だから、死についていろいろ書いてもらってありがたかったんだけれども、なんとなくおいらには理解できなかった。申し訳ないです。何度も読んでみようと思います。理解するために。
さららさんは撤回しちゃったけどいわれひこなんざ死んで当然のクソ野郎さ。もし実際に死んだとしても「畳の上で死ねてよかったですねえ」以上の感想は出てこないな。
>ダブスタの話
ちょっと誤解させちゃって申し訳なかったのですが、なんつーかおいらは「目的が手段を正当化する」とか考えてる人が大嫌いで逆に「とった手段が目的の正当性を保障する」ものだと思っています。んで、今回あの馬鹿奴等をremoveするためにとった手段が正直皆さんを不快にさせていたら、馬鹿奴等をremoveするという目的に対しても理解されなくなってしまうんじゃないかとか考えた次第です。
目的が正しいならばなおさら手段は選ぶべきという自分の原則に反した行動を取っていたのではないかとというところに思い至り、そこは恥じ入ります。
>「思う」ことと「言う」ことと「実行する」ことの間には、とても大きな差があると思う。
理解できないのがここなのかな? やっぱり。おいらは言葉は単に意思を伝達する手段であると思っていて、死ねと思ったならば死ねっていうのはとても素直なことだと思うのですが、どうも世の中はそうじゃないらしい。
んで、こういう感覚は技術として身につけるべきだと医者も言っていたので頑張って身につけなければいけないなあとか考えたというところです。おいらは定形発達者の社会で生きなければならないのですから。
tomomi_n_sさんの心象世界は多分色鮮やかなのだと思うけれども、おいらの心象世界は0と1の羅列さ。