どうやら生きていやがったようです。あの馬鹿は。
「自己責任論」で割り切れるほど、世の中単純じゃないよ(近況報告に代えて)
前回記事から、またもや4ヶ月ほど更新を停止させてしまいました。
とりあえずは、生きております(笑)ので、ここで読者の皆様にお知らせをしたいと思います。
また、最近の私の経験から、巷にあふれている「自己責任論」とやらに対する疑問も呈したいと思います。
まあ、誰かに刺されるまでは生きていてほしいものではある。んで、
私の方は、まだ新しい仕事を覚えるのに必死な毎日を送っております。
そのため、記事を更新するどころか、ネットにかまっていられる時間も激減してしまいました。
出張や泊り込みなども多く、なかなか大変でした。
ただ、そのかいもあってか、ようやく正社員に昇格することができました。
まだ決して高給と言うわけでもなく、また人員削減の可能性もないわけでもありませんが、それでも以前のような「名ばかり正社員のワーキング・プア」という惨状から、ようやく脱することができた、というところでしょうか。
こればっかりは素直に「がんばったじゃん」といいたい。komichiが自分の生活を自分の責任で何とかしようと思って頑張った。それを認めてもらったのだからもうちょっと有頂天になってもいいと思うがね。
逆に、今の職場に採用され、しかも正社員にまで上げてもらえたのは、私の努力・能力だけではありませんでした。
まず、採用試験の時に今の直属上司である人が、私の持っている資格や経験を評価してくださったからです。たまたまその人も、私と同じ資格を保持していたので、その希少性・重要性が理解できたのです。
逆に言えばそれは……私の資格や経験を評価してもらえなかったら、採用はされなかったかもしれないということです。
もっといえば、「本人にいくら資格や能力、経験などがあっても、それを評価したり、そもそも必要とする経営者が居なければ、採用や成果などには結びつかない」ということでもあるのです。
また、運とかタイミングとかもあります。
また私の場合を例にとりますが、今の職場の部署は、普段はあまり募集をしないところだったのです。
ちょうどその時、前任者が高齢や健康上の理由などで退職せざるをえない状況になりまして、それによって人員不足が生じていたのです。
それで、時期を限定して短期間だけ求人を出していたわけなのですが。
もし、私がその求人広告を目にするのが、あと一週間遅かったり早かったりしていれば、入社試験すら受けられずに終わっていたかもしれません。
ちょうどその時、たまたま前の会社を辞めて、職探しを始めたばかりの時期であり、しかもたまたまその求人をめにすることができた。
そのおかげで、前の会社を辞めてから短い期間のうちに、次の仕事(しかも、前よりもにありつくことができたのです。当初は、もっと長くかかるだろうな、と覚悟をしておりましたが……。
少なくとも私の場合は、たまたまラッキーな条件がいくつも重なりあって、今の仕事にありつくことができたのです。
こんなうまく行き過ぎてしまったのは、もう「自分の実力」だけではないいくつもの外部的要因……ぶっちゃけて言えば「運」とか「奇跡」としか考えられません。
しかしながら、全ての求職者が、私のようにいくつもの「運」や「奇跡」に恵まれるとは限りません。
むしろ、意欲や能力などはあっても、そういった外部的要因に恵まれなかった上に、貧困になってしまった人が多いのではないでしょうか。
資格や能力があっても、それを理解してくれる経営者がいなかったり。
そもそも、経営者側に採用する気も、その余裕もなかったり。
入社した先の経営者が、目先の利益しか考えない、労働基準法を理解しない、従業員を人間扱いしないひどい人物であったり。
運悪く就職活動を始める時期に、小泉・竹中や御手洗某のごとき自分たちの利益のためには国家や国民を平気で犠牲にするというエゴイストの売国奴が政治・経済の実権を握っていて、彼らが始めた「勤労者踏み付け・切り捨て」政策が行われていたり。
などなど……。
最近では、ようやく「自己責任論」や、彼らの背景になる「新自由主義」なる思想の限界や嘘っぱちなども明らかになってきたようです。
かつて、あの「郵政選挙」によって小泉自民党が歴史的な大勝をし、「新自由主義」なるものを掲げた者たちが世の圧倒的多数派に見えた頃に比べたら、ようやくここまで来たか、との思いにかられます。
が、この問題については引き続きとりあげていきたいと思います。
経営者の側で人を雇いたいという思いがあっても、komichiがそれにマッチしたスキルを持っていたという事実がなければ今の環境はなかったわけで、幸運はあったにせよその幸運を生かすことができたのはもっと誇っていいことだとおもうんよ。いくら幸運に恵まれてもkomichiが真にノータリンなら年末年始は日比谷公園で世間の嘲笑の的になるのが関の山さ。
なんだろうな。自分の生活が苦しいとかというのは自分の努力でどうにでもなる範疇にある事柄なんだよ。少なくともおいらはそう信じてる。どんなに頑張ったって結局のところ外部要因で左右される。そんなの真っ平だ。おいらが鬱病になったのは99%自分のせい。今をもって尚鬱病なのも99%自分のせい。泣き言を言っても始まらない。誰も救ってくれるわけじゃない。
もちろん外からの手助けは必要なんだろうけど、まず自分でできることをきちんとやろうと努力している人間と、自分で何かをする前に助けろと居丈高に要求している人間とどちらを先に助けたいと思うか。巷で言われている自己責任論というのはつまるところそういう話だと考えている。そして、助けてもらえる自分になるのももちろん自己責任だ。
posted by ミラクルさん at 01:51|
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